フレームワークの神話を読んで

 

フレームワークの神話―科学と合理性の擁護 (ポイエーシス叢書)

フレームワークの神話―科学と合理性の擁護 (ポイエーシス叢書)

 

 

まだ2章までしか読んでませんが、面白いことが書いてあったので

まとめたいと思います。

一章 33ページ

 こうしたことは、機能主義的アプローチに対立するものとしての、科学への批判的アプローチの一部であり、ラマルク主義のアプローチの一部であり、あまる区主義のアプローチに対立するものとしての、ダーウィン主義、または排除主義または選択主義のアプローチの一部なのです。機能主義者またはラマルク主義者のアプローチは、外部からの教化、または環境からの教化というアイディアを用いています。しかし、批判的なアプローチまたはダーウィン主義のアプローチは、内部からの教化のみを、つまり構造それ自身の内部からの教化のみ許容します。

事実、わたくしは、構造の外側からの教化のようなものは存在しない、換言すれば、情報がわれわれの感覚器官に刻印のように押し付けられ、その情報の流れが受動的に受容されていくといった過程は存在しない、と強く主張します。

 

 

2章から、タイトルのフレームワークの神話ですね。

70p

相対主義の背後にはわたくしが「フレームワークの神話」と呼ぶものがある、というのが私の主張である。

私はこの神話を説明し、批判し、さらにこれを擁護するために用いられてきた論法についても意見を述べるつもりである。

 

相対主義者の擁護者たちは、相互理解のための規準としての現実離れとした高度なものを提出する。そしてわれわれがこれらの基準を満たすことができないとき、[相互]理解は不可能であると主張する。

これに対してわたくしは、共通の善意と多大の努力がここに注入されるならば、きわめて広範囲の理解が可能であることを主張するのである。

 

これは私を勇気付けた。

私はウィトゲンシュタインの本を読み、写像理論を知った。

そこで、たとえば、私がりんごと言って、相手が像としてバナナを思い浮かべる人がいた場合、それでは、共通のコミュニケーションの基盤がなければ話し合いなど不可能、または無益だと考えていたからだ。

しかし、この著者はそうではないと語ります。

71p

 

私は伝統を賛美するものであり、その重要性についても自覚しているが、同時に正統にとらわれないということをほとんど正統的と言ってもいいほどに信奉するものでもある。わたくしは正統というのは知識の死であると考える。

 

 

なぜなら、知識の成長は意見の不一致の存在に完全に依存しているからである。

確かに意見の不一致は争いを、そして暴力すら招くかもしれない。

そしてわたくしは暴力を憎悪するがゆえに、これをまったくの悪と考える。しかし、意見の不一致はまた討論や論証に、そして相互批判にもつながりうる。そしてこれが最も重要だと思う。

 

72p

フレームワークの神話は、以下のようなひとつの文章で述べることができる。

合理的で実りある討論は、その参加者が基本的な過程にかんする共通のフレームワークを共有しなければ、あるいは少なくとも討論のためのそのようなフレームワークにかんして合意していなければ、不可能である。

これが私が批判しようとする神話である。

 そして、この後にギリシャの批判的伝統について、語ります。

引用しませんが。

------------------------------終わり---------------------------------------------------

私はこの本を読みながら別のことを考えていた。

極論や、過激論者が存在し、駆逐される。

しかし、この討論の勝者となっている。中道という存在もまた存在しない。存在するとすれば、中道もまた、対立があり、その中道に過ぎない。その中道は結局、どちらかの論理に流れるだろう。

 

中道の存在を担保するのは、論点の対立があってこそだからだ。

そういう意味で、完全な中道は存在せず、極論はまた駆逐される。

 

曖昧な中道は、論点となっているどちらかを支持する存在であり、その中道の手はずにより我々は、選択する。

なぜか、この世界では極論は存在しない。

世界の環境に適応するという役目をわずかに異なる、中道者に任せ、変化に適応するのである。

昔はわからない。私は画期的な世界の変更には反対する。

それがすばらしい世の中になるとしても。

それによって犠牲になるのは私かもしれないからだ。

 

しかし、わからないのは。

中道者は環境に適応するために、ちゃんと行動を起こしてくれるだろうか、という点である。

中道者に志向性を与えるためにも極論者の役目は重要でと考えるが、わかり合うのが不可能である点が重要なところが、私が理性を捨てたくなる理由にもなりそうだ。