消極的〇〇の消極的に指向性をもたせることは可能か

 

〇〇に対する態度が消極的であることは私達の判断をある程度には保留し、なおかつ〇〇を現状維持せよと私達に要求できる便利な言葉である。

 

この言葉の面白い所は、現状維持でありながら保守的であることを意味しない。

なぜなら現状維持より、優れた何かがあるのであれば、現状維持をやめることを

含蓄しているからだ。

 

しかし指向性を持っているとはいいがたい

発展的な指向性とは、現状維持から優れたものを探し出す行為も含める。

その意味では、消極的とは現状より優れたものを探す事自体に消極的であり

しかしながら、受け身でありつつも、態度を変えることにやぶさかではないという

複雑な態度である。

 

この言葉は便利な言葉である。

便利であるというのは不誠実性を伴うことが多い。

(これは演繹を行うことによって道徳性失ってしまうことに近いものがある。)

今回の事で言えば、消極的〇〇という言葉はただの優柔不断であることを

知的な表現にしたものに過ぎず、しかし言葉を変えたことによって優柔不断であることを自覚せずにこの言葉を使えてしまうところが問題なのである。

 

そこで私は消極性という言葉に指向性があることを明らかにし、消極的〇〇といったときに生じる優柔不断なところを改めたいと思う。

(自身が優柔不断であることを自覚していない点は、本当はその言葉は優柔不断の意思表明であるのだと相手の自覚させるのは人が行うには傲慢すぎるだろう)

 

 

消極性であるということは、主体性を持ち得るか考えたい。

判断を行うのは自己になるのは間違いない。

そこでの価値判断は現状維持が大半を占めることになるだろう。

もし現状より素晴らしいとほとんどの人が言うならば意見を変えるに違いない

しかし、そもそもそうなることはほとんど不可能であり、確実な保守性を持っていると言える。

(どんな意見にも懐疑を発生させないなどほとんど不可能だろう)

 

本来は積極性を持たなければ集団を作ることは叶わない。

消極的であることとは、自己で完結することを意味する。

積極的であることとは、外部に影響を与えることを意味する。

 

つまるところ、消極的であることとは場を提供されており

その場がなければ現状維持を可能とする、集団を集めることも叶わない。

積極的な論理で人を集めた後は、消極的な論理に切り替えれば

完全なる保守性を持った集団を容易に作ることを可能とする。

 

 

そもそも保守であることであったとしても、現状維持をやめる時は来るはずである。

保守的であること、消極的であることの違いはよくわからない。