インターネットは進歩的か

私たちはインターネットによって差異を減らされている。

インターネットは知性を拡大できただろうか?

インターネットの役割は知を保存すること、知を拡大することにある。

知の保存とは、知の固定化、いわば知の神格化、保守思想である。

知の拡大とは、同じ知を持つ人間を作り出す。知による人間の同質化である。

私たちはインターネットを進歩的なものと見なしてきたが、実際には現在に見られるインターネットの本質は極めて保守的なものである。

 

なぜ私たちは、インターネットを進歩的なものと見なしてきたか

それは、私たちが技術の発展を、人類の発展と同一視し、技術の発展をインターネットの発展と同一視したときに生じたものである。

この件に関して、色々と主張出来ると思われるが、簡単に言えば技術とは、人が使うツールに過ぎず、技術の発展は人類の発展に必ず結びつくわけではない。

(インターネットは全てが技術的な要素で出来ているわけではなく、科学的な成果で出来ている部分も持っている。)

 

CPUやディスプレイ、更に発展して、インターネットケーブル、サーバーなど

こういった技術を使いながら、私たちはインターネットという概念を作り出した。

つまり、インターネットとは人が技術を使い、作り出したある概念なのだ。

ここで言えるのは、科学は現に私たちが生きている不変性の上に建てられたものだが、

インターネットに関する技術などは、私たちが生きている不変性の上に建っていない。

(人間が忘れたとしても、科学的事実は私たちの目前で観察することができる。)

これは、なぜ人工物は完全に分解・分析することが出来ないかということにつながっている。

それは、人工物を作る人間自身が変更可能性が十分にあるからである。

 

インターネットは人工物である。これは誰が見ても同意できる。

そして人工物には思想が宿る、それは私たちがなぜそれを作ったか、またはどういった性質を持つのかを決定しているということなのだ。

私は現在のインターネットという人工物には、保守思想が宿っていることを発見した。

 

インターネットは使い方によっては進歩的になり得るが、現在の私たちが進歩的だと錯覚している、知の保存、知の拡大というのは勘違いだということと、インターネットにはそれらの基本的概念が備わっている(または備わっているべきだ)という勘違いも正す必要がある。

インターネットが基本的に規制を免れているのは、規制とは国を守る保守的な行為であり、それがインターネットの保守思想と同じライン上に存在しているからである。

(もし、インターネットの完全規制を叫ぶのであれば、それは進歩的な人だろう)

 

では、インターネットを革新的に使うにはどうすれば良いだろうか

 

1 知の保存、知の拡大をやめる

私たちは知の保存をしたくないし、知の拡大もしたくない

 

2 インターネットの発展は人類の発展ではないということを認識する。

必ずしも結びつかないということだが、必ずしもという言葉の汚さは認める。

 

3 インターネットを完全に規制する。

これはかなり実践的な案だ。

もし、知の保存だけは残すなどという人には同意してはならない。

私たちは、私たちの手によってインターネットを封じることによって、一歩進むことが出来る。

 

しかし、私たちが真に直面しているのは、

保守的な思想を進歩的概念だと、人に欺きながら与えることだろう。(逆もしかりだが)

ここの問題だけを解消できれば、保守派も革新派も仲良く前に進むことが出来るというものだ。