ネットアングラ文化圏における反個人主義

 

 

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)

 

 

わたしが個人主義に否定的である層を発見したのは、ハマータウンの野郎どもを読んだときである。

わたしはそこで気がついた。

個人主義とは、学校から与えられたものであり、そしてそれに反発するものたちが

いることに。

そして、この反発精神は日本ではあまり聞かないカウンターカルチャーと呼べるものだ。

 

この本はイギリスの学校文化を舞台としているが、当然日本でもこのような不良文化を担う層は出現している。

(わたしはこの本から影響を受けた日本著者の本は読んでいないが、日本からもこういった本が出ている様子)

 

さて、本題のネットのアングラ文化圏における反個人主義だが、ここでは色々な文化を作り出している、そのなかでもネットのアングラ文化圏における名前を隠す文化が、反個人主義思想に依っているということを記述したい。

 

当然、名前を隠すのは彼らがグレー、または違法なことをやっているから名前を隠すというものだが、その文化を引き継いでいる、派生した文化もまた名前を隠し続けているのは合理的な理由が必要である。それが今回の記述になる。

(主に2ちゃんねるがターゲットであるが、このネットのアングラ文化に影響している、日本のWebサイトは多岐にわたるため、出来る限り抽象的に書く。)

 

ちなみに、この文章を書くきっかけは以下のホッテントリしたサイトを読んだことだ。

mubou.seesaa.net

この上記のサイト内の"web理想主義"はまさにネットのアングラ圏から影響を受けた思想である。これはネット上のアングラサイトによる反発精神による思想なので、最後に列挙している理想同士が衝突していることを発見したのも、サイトの文章のおかげで発見したのである。

日本のweb理想が反発精神に依っているのを見つけられたのも、上記のWebサイトの記述によって発見できた。

 

では、まずネットアングラ文化圏における2ちゃんねるの歴史を一行で書きたい。

あやしいわーるどあめぞうのサイト→2ちゃんねる

以上である。

 

あやしいわーるどについては、wikipediaが詳しい。

あやしいわーるど - Wikipedia

これより前の文化も当然あったと思われるが、これ以前についての情報があまりないのでわたしには分からない。

 

wikipediaを見れば、あやしいわーるどというサイトの紹介にアングラという単語がついている時点で、もう不適切なサイトであることが一目瞭然であろう。

こういったサイトではハンドルネームと呼ばれる仮名制を導入している。

 

そして、あめぞうのサイト

これが2ちゃんねるの前身である。

あめぞう - Wikipedia

ここでは2ちゃんねるが誕生したきっかけでもあるし、同質の存在がそのまま移行していると考えられる。

2ちゃんねる - Wikipedia

「名無し」のシステムは、あめぞうより引き継いだものである。

2ちゃんねるは現在も続いている、日本最大の匿名サイトだ。

00年代の日本web理想を語るサイトとなり、幻滅させられたサイトである。

00年代のweb理想論、00年台後期の幻滅した者たちによる文章をまとめられないが

ほぼ2ちゃんねるの匿名思想には言及しているだろう。

 

わたしは幻滅したものの文章を読んでいないし、エリート主義者の文章は読まないので

読んでいないが、webの理想に幻滅した本は以下にあげる。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

 

 

 ここから派生したブログの内容なども多いので、すべて読むのは大変である。

 

タイトルは2ちゃんねるに限定しているが、日本の理想なweb世界を語る本

2ちゃんねる宣言―挑発するメディア (文春文庫PLUS)

2ちゃんねる宣言―挑発するメディア (文春文庫PLUS)

 

 

ここまでアングラサイトから、日本の匿名システム、ひいてはwebの理想が匿名文化から来ていることを記述した。

 

次に、集団の生成理由、集団の特徴を書いていきたい。

 

アングラサイトとは、正規から離れた不正ユーザーや、様々な悪質さを持ったものたちのたまり場だった。

そんな無法者達だが、当然ながら仲間意識を持っていた。

当然といったのは、彼らの不遜な態度では、規則や集団を維持するための目的とするルールは最初は作れないのだから、仲間意識によって集団を生成するしかないので当然という意味である。彼らは、ある特定の共通項をもち、それを用いて集団の維持、形成を行うしかあり得なかった。

 

アングラサイトに集まる彼らの共通項とはなんだろうか?

それは色々あると思われるが、社会から受け入れられられなかった事による敵対心、社会に対する反発心、それによる自由を目指すという共通項だろう。

そういった事で集団を形成するのは何もアングラサイトだけではないことを明記する。

 

ハマータウンの野郎ども という本では彼らは、学校から与えられた個人主義が都合のいい思想だと感じ、反発する。

実際に学校は個人主義を用いることによってジレンマに陥っている。

例えば、仲間は大事だと説きながら、個人に力がなければ。緊急時には助けてくれないぞなどと脅す。

集団の維持には全体主義的なロジックを使う必要があるが、学校に都合の悪い集団ができると個人主義的なロジックを用いる。つまり学校の都合のいい集団の維持するためだけに用いるロジックなのだ。

それが彼らの都合の良さと言えるだろう。

さらにハマータウンの野郎どもには以下の記述がある。

反学校の文化には、いわば個人原理と集団原理との相違に関する洞察が含まれている。さらに、現代の公教育がこの二つの異なる論理をことさら混用していることをも見抜いている。

ここでも洞察は十分な自覚性を欠いているかもしれないし、あれこれの言動やその意図には洞察からのずれも含まれていよう

だがたとえそうであっても、学校制度に対する少年たちの洞察の核心は、階級や集団の利害が個人の利害とは異なるということを見透かしているところにある。

反学校集団の共通認識はこの核心から生じている。

労働階級の出身であっても、個々の生徒にとっては社会的階層移動の可能性が、なにほどかはおのれを賭けるに値する場合がある。

実際にいくばくかの生徒は「出世する」し、それにつづこうと期待をかける者もいるだろう。しかし、階級や集団の全体が社会的階層移動をとげるなどということがあるなら、それは階級社会そのものの破壊でなければならない。

ハマータウンの野郎ども (p312)

 

こうしたすべてのことが、個人主義的な論理を集団、階級レベルの論理にまで拡張することの無理を、はしたなくも露呈しているのである。

ハマータウンの野郎ども (p314)

 

こういった反発は、日本でも起きており、それが日本のネットアングラ文化に入り込んでいるのではないだろうか。

 

この個人主義に対する反発を、反個人主義と呼びたい。

通常、個人主義の対義語は全体主義となっているが、彼らは個人主義を否定(または反発)しているだけであり、全体主義者でも無いのである。

しかし可能な限り個人主義的なものに対して、反発していけば全体主義的なものが出現するのは自明である。

彼らは全体主義も良しとはしていないので、それらは極端なものとして否定される。

反発した結果の自明であるはずの結論に達した所で否定されるのであり、この結果を予測できた人は、矛盾に陥り、精神的なショックは相当なものである。

 

この反個人主義が生み出したと考えられるのが、2ちゃんねるなどの匿名サイトになる。

彼らは反個人主義思想によって集まったわけではないが、その系譜を引き継いでいるのである。

つまり、彼らが現在も名前を隠し続けているのは、学校、社会から与えられる個人主義に対する反発であり、個人主義に対する敵意なのである。

 

ここでで注意が必要なのは、ネットのアングラ文化圏にいる2ちゃんねるは有名になり、

その文化に対する反発がもうかなり前から起きているということである。

例えば、反体制、反社会的ということを全面に出すことは2ちゃんねるの彼らは嫌っている。

それは、ネットのアングラ文化圏に従順である、その従順さが嫌われる理由である。

従順さの否定が、一部から称賛される理由は、その従順さが、体制に対する従順さと同列に容易に見て取れるからだ。

つまり、その中でのみ反個人主義的である彼らは、反個人主義に従順であるというのみに限って、反個人主義を批判できるのである。

 

思想に関して言えば、「誰が言ったではなく、中身をみよう」という思想がある。

これは反個人主義的であるといえる。

なぜなら、個人に関係なく、内容だけを称賛しようという話なのだから。

 

ここで、彼らは自分の名前を持つこと、個人主義を否定するのも強制していないという発言が出ると思われる。

しかし彼らは、特に全員が共通のルールをもって行動することがありえないから、強制しないだけで、何か条件をつければ(例えば、全体レベルではなく、個人レベルの恐喝、説得など)強制にしたいと考えている。

つまり、彼らは基本的なシステムには従い、そのシステムから逸脱することはない。

彼らは匿名システムをやめる気はないし、変える気もない。

これは彼らの自治能力の崩壊にも繋がっている。

初期の2ちゃんねるでは各板のルールなどを決めることができた。

現在の2ちゃんねるの殆どの板では、その板の住人同士が話し合って、板の方針を決めることがほとんどどできていないのである。

 

日本のネットにある理想が、こうしたアングラサイトによって生み出された理想であることは極めて危険に思う。

 

反発だけでしかないので、確固とした思想基盤を作ることが出来ず。

相対主義者を大量に生み出してしまった。

従順さのみを否定する際の節操のなさを見よ。

個人主義に反発しただけなので、全体主義に陥る覚悟も得ることは出来ない。

個人主義の再構築、全体主義の再構築も当然出来ず、何の発展性も無いのだ。

 

わたしは、この2ちゃんねる各種のネットのアングラ文化圏を抜け新しい思想を元に、理想のweb、インターネットを追っていくことが重要だと思う。